更新日:2026年9月2日
草加本染め浴衣とは

草加のゆかたは、県の伝統的手芸工芸品にも指定されている、市を代表する特産品です。「注染」(ちゅうせん)と呼ばれる染色技法で染められる草加のゆかたの特徴は、ヤカンという道具を使って熱い染料を注いで染め抜くため、表裏ともに色がつくことと、伝統工芸士の手によって作り出される微妙な色合いにあります。「草加市民まつり」で行われる「草加さわやかさんコンテスト」の出場者は皆このゆかたを身に着けており、毎年違った色やデザインで会場をはなやかに盛り上げています。
浴衣の歴史と技法
草加市の浴衣は、江戸時代の後期、江戸神田の染織業者が大火により焼き出され、水の豊富な当時の草加に移住し事業を再開したのが始まりと伝えられています。
生産した浴衣は、大消費地江戸へ、出荷されました。また、浴衣の生産は草加の人達に農閑期の余業として受け入れられました。
江戸時代から明治、大正と時代が変わり、浴衣の製作方法にも変化が現れました。従来の長板中形から、大阪で注染という新しい技術が生まれました。
長板中形は、型付屋で6.5メートル程の長い板へ生地を張って、糊で型付け、さらに裏面も同様に行い、紺屋で染料の入った瓶に浸して染め上げる手法のため、生産性も低く、広い作業スペースも必要だった。
一方、注染は1メートル弱の間隔で生地を折り返し、何度も糊付けを繰り返すので能率が良く、染料を注いで染め上げるため、裏表なく柄が鮮やかで、生産性が高い。
注栓の技術はいち早く受け入れられ草加市での浴衣の生産量は増加した。
第二次大戦に伴う繊維関連の価格・設備統制により、生産に陰りが見えたが、1949(昭和24)年から1951(昭和26)年にかけ統制は解除され、浴衣の生産量は飛躍的に増大した。日本は高度成長期を迎える昭和36年には300万単出荷し、最盛期を迎えることとなった。その後は、和服着用機会の減少、安価なプリント浴衣の増加などに押され、浴衣生産は減少の一途をたどった。
浴衣の製造工程
ゆかた染めの製作工程は、木綿の不純物を取り除き染色しやすくする晒(さらし)屋、晒した木綿をヤグラに干して、巻きつける。木綿に模様を入れ、染め上げる紺(こう)屋、それを糊付け、幅出し、一反ずつきれいに巻いて商標などを付ける仕上屋という順になります。
1.生地の巻付け

ヤグラ干しされたさらしは、紺屋に納品され1反ずつ巻き付けられる。
2.型付け

次に、幅40センチメートル、長さ1メートルの木枠に型紙を張り、糊をヘラで均等の厚さに付ける。
3.染め

白いさらしに柄が糊付けされ、「染め」という染色工程に入る。
4.水洗

染められた生地は、水洗い機にかけ糊や余分な染料を落とす。
5.乾燥

その後生地を乾燥させる。昔は一反ずつ天日で乾燥していたが、現在では機械で乾燥させている。
埼玉県伝統工芸士の紹介
県指定の伝統的手工芸品(以下「指定品」という。)の製造に従事している技術者のうち、高度の技術・技法を保持する者を埼玉県伝統工芸士として認定しています。
認定にあたっては、指定品製造の実務経験が12年以上あり、かつ、現在もその製造に関する高度な伝統技術、技法を有していることなどを前提条件とし、そして、(財)埼玉県伝統工芸協会や学識経験者などで構成される埼玉県伝統工芸士認定委員会における厳しい審査を経て、埼玉県知事から認定されます。本染めゆかたで埼玉県伝統工芸士に認定されている押田さん、昼間さんの紹介です。
故 押田勝次氏

| 大正10年1月生まれ | |
|---|---|
| 昭和12年 | 中学校を卒業後、「染めもの」の世界に入る |
| 昭和36年 | 東京本染めゆかた草加工業会会長に就任する |
| 昭和38年 | 押田染工所は生産者部門として通商産業大臣賞を受賞 その後、生地や産品関係の賞を多数受賞 |
| 昭和54年 | 全国注染同業会会長に就任する |
| 平成9年 | 11月18日埼玉県の伝統工芸士に認定される |
| 平成23年 | 草加市文化賞を受賞 |
昼間時良氏

| 昭和12年8月生まれ | |
|---|---|
| 昭和27年 | 草加の地場産業に興味を持ち「染めもの」の世界に入る 押田さん同様数々の賞を受賞 |
| 平成6年 | 2月18日本染めゆかたでは埼玉県第1号の伝統工芸士に認定される |
| 平成28年 | 草加市文化賞を受賞 |
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