更新日:2011年3月31日
広報そうか 第374号 昭和57年11月20日号
背負ってきた十王像
(16)十王堂(柿木町)
国にさる豪族が住んでいました。系図をたどっていくと天皇にもつながるといわれている由緒ある家柄で、当主は信仰心が厚く、慈悲深い人なので領民から慕われていました。主(あるじ)は何にもまして武人でしたから、”地獄にいて亡者を裁く”といわれている十王を特に熱烈に信仰し、日夜「武運長久」を祈っていました。
平和な毎日が続いていましたがある時豪族同士の勢力争いに巻き込まれて主も戦いましたが、敵の奸計(かんけい)にはまって敗れさり、落城も時間の問題という状況に追い込まれてしまいました。「われら一族は不覚にも敵の術中にはまってしまい、追っ手も間近にせまっている。このうえは一族郎党、城を枕に討ち死する覚悟である」と悲痛な決意を述べると、「殿、むざとお命を落としてはなりませぬ。ここは、われら家臣が血路を開きますゆえ、身一つで落ちのび、いつの日か、われらのかたきを取ってくだされ」と重臣が述べ、さらに家来が説得すると、主もこれに同意し、十王像などを背にわずかな家臣とともに南へ落ちていきました。
この主従は、追っ手をふり払い見知らぬ土地にたどり着きました。「ああ、これ以上動けない」、「ここまでは敵も追いかけては来ないだろう」と油断していた所、どこからともなく矢が飛んで来て、またたく間に家来が討たれてしまいました。矢を放ったのは敵の追っ手ではなく、落武者などを狙う盗賊だったのです。多勢に無勢、今度こそ主は絶体絶命の危機に陥りました。
すると、空が急に暗くなったかと思うと、強い風が吹き、雷が鳴り始め、まるで盗賊たちに襲いかかっていくかのように激しさが増してくるのです。まさしく天の助けです。このすきに乗じて、主は十王像を背負ってさらに落ちのび、現在の柿木町にたどり着いたのです。ここでひと休みして、「今度こそ大丈夫だろう。さて、そろそろ出発するか」と十王像を持ち上げようとしても、まるで根が生えたように動かないのです。
「そうか、どうせ落ち行く先など決まっていないこの私に、この地で戦いで亡くなった家臣の分まで立派に生きろと神様がおっしゃっているのだな」と悟りました、主はこの地に十王像をまつり、一生けん命に働いた結果、不毛に等しかったこの地を見事に切り開きました。また難を免れた地にも水神と雷神を合わせてまつったということです。「背負ってきた十王像」のお話しでした。
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