更新日:2011年4月1日
広報そうか 第361号 昭和56年5月20日号
綾瀬川に落ちた大般若箱
(4)九左衛門新田(旭町)
現在の旭町、旧新田村の九左衛門新田では六月二十四日を”大般若(だいはんにゃ)の日”と呼んでいました。毎年この日になると農民たちは無病息災を祈って、大般若経を長持に入れて村中を練り歩く風習が残っていました。農民たちにとっては気がねなく農作業の手を休められる日として、お正月と同様待ち遠しい一日でした。
しかし、この安息日も農民たちの”過ぎたいたずら”が原因で明治末期になくなってしまいました。
最後となった大般若の日も例よって村人が、蒲生のお寺へ出向き、大切に保管された大般若経を借りて総代(現在の町会長)の家へ届けました。長持にこれを納め、村中を練り歩くためでした。
この日、農家では必ず男一人が狩り出されました。農民達は、三三五五、総代の家へ集まり酒食のもてなしを受け、全員が集まったところでいよいよ大般若箱をかつぎ始めました。総勢約三十人の一団は、先導役二人を先頭に、六人が交代で箱をかついで村中の農家を訪ね、素足で家にあがり込んでお払いをしました。
紺のそろいのゆかたに身を包み、ねじりはち巻をした一団は、一面水をたたえた田んぼのあぜ道を威勢よく練り歩きました。
さして重くない箱とはいえ、各家の酒食のもてなしに酔いが回った一団は、次第にかつぐことが面倒になってしまいました。
このため、気心の知れた土地っ子たちは口裏を合わせて、よその土地から来たおとなしいむこにかつぐことを押しつけました。
むこたちは渋々これを引き受け、必死にかついで回りました。
村中をほぼ回り終えようというとき、一団は綾瀬川に差しかかりました。ちょうどそのとき、酒の勢いといたずら心から土地っ子の農民が力まかせに突き飛ばすと、数人のむこたちは、大般若経もろとも綾瀬川へ転落してしまいました。命からがらはいがったむこたちは、幸いにも一命を取りとめたものの、寺から借りた大切な経典はぐっしょりぬれてしまいました。事の重大さに農民たちは、一ぺんに酔いがさめてしまい、経典を日に当てて乾かしたりと大わらわとなってしまいました。
どうにか乾かし、体裁を整えて総代に手渡したもの、経典の墨のにじみは如何ともしがたく、農民たちは総代から大目玉を食ってしまいました。
これ以来、お寺からは経典を貸してもらえず、恒例のこの行事も中止となり、同時に大般若の日もすたれていってしまいました。
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