更新日:2011年6月15日
広報そうか 第360号 昭和56年5月5日号
恋情秘めた娘の黒髪
(3)毛長沼(新里町)
足立区と草加の境を流れる毛長川。昭和に改修されたこの川は、かつては新里地域の沼地をくねって進まねばなりませんでした。
今では、もう形をとどめていませんが、この一帯は人々に毛長沼と呼ばれてきました。
毛長沼にまつわる言い伝えは数多くあり、それぞれが当時の村人の姿をかい間見せてくれます。
ある時、対岸の舎人(とねり)村から新里村へ供を従えて長者がやってきました。かねてより頭を痛めていた治水のための話し合いと兼ねて、肥よくな土地を持つ新里村の農作物の様子を見たいと訪れたのでした。
供の者の中には、長者の息子も加わっていました。いくつもの作物蔵を見てまわり、さて帰ろうと沼を渡る舟に、一行がいましも乗りこもうとしていた時、ふと、ふりかえった若者の目をとらえたものは、沼のほとりに一人立ち、蓮の花を見やる娘の姿でした。
色白の面立ち、なびく黒髪「あれは女神様の化身だろうか」若者はつぶやくのでした。
やがて若者は、その折の女性が新里の長者の娘と知り、村おさに頼み縁談を申し入れました。
その結果、両家の親、娘ともこれに応じて二人はめでたく結ばれるはこびになりました。
娘が嫁ぐ日も近づいた、ちょうどそのころ、新里の村には疫病が入り込んできました。疫病は猛威をふるいはじめ、床に伏す人が村中にでてくるありさまでした。
こうしたうわさは沼を隔てた村々にも伝わり、たたりが及ぶと恐れた舎人の村人達は、長者に二人の破談をせまりました。疫病は一向におさまらず、そうこうしているうち両長者とも縁組をあきらめる事態になってしまいました。
新里村では、命を落す者もではじめ、そんななかで娘は舎人の若者が破談をひどく嘆いていることを伝え聞くにおよんで、心痛も極まってしまいました。
何日かたった大あらしの晩、娘はちぎれんばかりに髪を乱しながら沼へ身を沈めてしまいました。
あらしが去り、疫病もおさまったある日、舎人の岸辺に長い黒髪が流れ着きました。村人達はこれが身投げをした新里の娘の髪だと悟ると、大いに悲しみました。
一方、新里の村人達も長者の娘をいとおしみ、社(やしろ)を建ててここに娘の髪をご神体としてまつり、毛長神社と名づけました。
今では、毛長川の水は、あのあらしの夜の悲しい出来事など知るよしもなく、帰路を急ぐ通勤客を乗せた電車の灯を映しながら静かに流れています。
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