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草加市 SOKA CITY

江戸沼

更新日:2011年4月1日

広報そうか 第358号 昭和56年4月5日号

柿木と八条の“水争い”

江戸沼

(1)江戸沼(柿木町)

江戸沼の歴史は、江戸期農民の生きるがための“水争い”のてん末を克明に伝えてくれます。

当時、“水争い”は各地でひん繁に起っていましたが、忍藩の飛び地、柿木南部と幕府天領、八条(現在の八潮市)との地境でもたびたび繰り広げられました。

両地一帯は低地で、しかも、ちょうどすりばちの底のような地形のため、一度雨が降ると水のはけ場がなく、一面は水びたしとなってしまいました。

それでも、柿木の方がわずかに高いため水は自然、八条へと流れていきました。

当時、稲作は農民にとって唯一の生活の手だてとあって、これを脅かす水害は農民の恐怖でした。

このため、困った八条では地境に、高さは人の背ほどもあろうかという大きな土手を東西約1キロメートルにわたって築き、柿木から流れてくる水をせき取めました。

これで一安心、とほっとする八条の農民とは反対に、今度は柿木の農民が困り果ててしまいました。

そこで苦肉の策として考え出したのが土手の下部に穴をあけることでした。荷物をかつぐ丸太ん棒でちょいと突くと水をたっぷり含んだ土手は簡単に穴があき、柿木の水はあれよあれよという間に八条へ流れ出しました。

たび重なる仕業に業(ごう)をにやした八条の農民は、とうとう立番を置くことに決めました。

雨が降ると、決まってみの笠とみのをまとった八条の農民が四、五人、土手の上で柿木の方を見やって警戒しました。

それでも、見張りの目を盗んでは土手に穴をあけることは止むことがありませんでした。

困り果てた八条の農民は、今度は土手に穴を掘り、牡蠣殻(かきがら)をついて補強しました。牡蠣殻は、今でいえばコンクリートのようなもので、これで柿木の農民は手の施しようがなくなってしまいました。

こうして水のはけ場がなくなった柿木南部は、水がひけることがなく、沼となってしまったのです。
これが江戸沼です。

明治になってひ管を取りつけ沼の水を中川へ落とすようになったため、現在江戸沼はありません。

先人たちが生きるために必死で“水争い”を繰り広げた“修ら場”は、今は何ごともなかったかのようにのどかな田園風景に様がわりしています。

そして、江戸沼という言葉も時折、古老が口にするだけとなっています。

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