更新日:2011年7月5日
明治22年、南草加村や谷古宇村等11か村からなる谷古宇村連合が草加町として誕生。役場は谷古宇村86番地(現住吉2丁目)の大川弥惣衛門宅でした。明治37年、昭和4年と役場を移転。昭和33年11月1日、草加市が誕生し、同40年現草加市役所本庁舎が落成、今日に至っています。
私が草加町役場に奉職したのが昭和33年5月。当初の6か月間は「臨時雇」で日給240円(まさに当時の流行語の「ニコヨン」)。
同年11月には待望の市制施行となりましたが、人口3万4878人、年間予算1億4千万円、職員は100人足らずで、現在の草加駅前一番街通りにあった庁舎は昭和初期に建てられた木造2階建て。庁舎の隣には銭湯や飲食店等も点在し、夕方になると風呂上がりや勤め帰りの往来もあって、結構にぎやかな通りでした。
早いものであれから約50年が経ち、変貌した街並みを見るたびに、当時昼食の定番だった一杯30円のラーメンの味が今も鮮烈によみがえります。
(写真:草加町見聞史及び文字山保雄さん文:青木國勝さん)
私が草加町役場に奉職したのが昭和33年5月。当初の6か月間は「臨時雇」で日給240円(まさに当時の流行語の「ニコヨン」)。
同年11月には待望の市制施行となりましたが、人口3万4878人、年間予算1億4千万円、職員は100人足らずで、現在の草加駅前一番街通りにあった庁舎は昭和初期に建てられた木造2階建て。庁舎の隣には銭湯や飲食店等も点在し、夕方になると風呂上がりや勤め帰りの往来もあって、結構にぎやかな通りでした。
早いものであれから約50年が経ち、変貌した街並みを見るたびに、当時昼食の定番だった一杯30円のラーメンの味が今も鮮烈によみがえります。
(写真:草加町見聞史及び文字山保雄さん文:青木國勝さん)
町役場は明治11年に草加警察署として建てられましたが、同37年から町役場に(1階35坪、2階20坪)。昭和4年に新町役場が建設されると、草加消防本部として活用。現在は「おせん茶屋」として市民に親しまれています。
昭和4年建設の木造2階建ての庁舎で、1階は約67坪、2階32坪。
昭和40年市庁舎落成後、用地は草加駅東口再開発事業に活用。現在は商業ビル。
昭和40年11月落成。鉄筋コンクリート3階建て。また、平成10年に西棟ができました。
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