更新日:2011年5月25日
広報そうか 第375号 昭和56年12月20日号
天に通じた母の願い
(18)いぼ地蔵(青柳町)
享保のころ、青柳村で
「私は五年前、江戸の大火で妻子と別れ別れになったものです。思うところあり仏の道を志し、奥州を旅してきました。この村の人たちとは短い付き合いでしたが大変お世話になりました。さて、私にはもう先がありません。ここにあるわずかばかりのお金で地蔵を。きっと何かのお役に」
三月ほどたって江戸では
「殿、かようにささいなことは」「捨ておけというのか」「でもございましょうが、一揆のほうは」
こんなやりとりを知ってか知らずか、江戸ッ子の間では“どうぞ娘の病にお救いを”という目安箱への投げ文に応えた将軍吉宗の話で、もちきりでした。
病にあるという当の娘は、幼いころから湯島に住み、近所でも評判の器量良しで、近くに住むある若者と心を寄せあう仲でした。
ところが、ある時、過労がもとで高い熱を出してしまいました。二日後、熱は引いたものの、不幸なことに顔には大きなイボが二つもできていたのです。両ほほに一つずつ、それは目立ちましたのでさる若者もしだいに娘から遠ざかるようになってしまいました。娘はめいるばかりで、町医者もお手上げになってしまったのです。
考えあぐんだ母親は、目安箱へ娘の救済を願いでたのでした。
ところが、将軍の粋なはからいによって養生所の手当てを受けたにもかかわらず、娘にはいっこうに利き目がありませんでした。
そうこうしているころ、母親のところへ顔なじみの魚屋がある話をもってきました。
河岸に出入りのひとりに聞いたというその話は、五年前の大火で生き別れになったご亭主が、草加宿にほど近い村にとどまっているらしい、というものでした。
この話に居ても立ってもいられない母親でしたが、病の娘を一人置いていくわけにもいかず、出発をためらっていました。しかし、人の手助けもあり、舟で娘と草加へ行けることになりました。
病の娘を連れ、やっとの思いで訪ねた母親を待っていたものは、小さな石の地蔵だけでした。
それでも、旅の僧として夫のたどった長い、苦しい道のりを想い、一心に手を合わせるのでした。
静かに顔をあげ、傍らに目を移すと、そこには我に返って地蔵に見いる娘の姿があったのです。
やがて娘の目からは大粒の涙があふれ、そのほおのイボをきれいに洗い流してしまったのです。
その後、この地蔵は村の人々から「イボ地蔵」と呼ばれ、後の世まで慕われました。
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