更新日:2011年5月25日
広報そうか 第368号 昭和56年9月5日号
沼に沈んだ花嫁
(11)青柳姫(青柳町)
草加という土地は、以前は大部分が沼地だったということです。青柳町にある工業団地一帯は昔は同様に沼地で、ちょっとした高台に家が数十軒点在していた程度だったそうです。このため、この一帯の家は、半農半漁の生活を送っていました。漁というのは、もちろん川魚を取ることです。
このような時代のころ、現在の千葉県は松戸に「青柳姫」と言われる非常に美しく、気立ても優しい評判の娘が縁あって川口市にある安行の若者と結ばれることになりました。
婚礼の荷物や花嫁衣装やらで遠い道のりを歩くのは大変なので、娘は白むくに身を包み船で嫁いで行くことにしました。
このころ、安行の若者は評判の青柳姫を迎えるとあって、気もそぞろに何も手につかず、時間ばかりを無駄に過ごす日々を送っていました。
青柳姫を乗せた船は、風に恵まれ三郷、八潮を経て、現在の工業団地がある付近に差しかかりました。その時、突然一陣の突風が吹きつけました。船頭は慌てて船をたて直そうとしましたが時すでに遅く、船は船首を持ちあげると、激しい渦を巻きながら花嫁衣装の青柳姫もろとも、沼に沈んでしまいました。泳ぎが達者な船乗りたちも、この一瞬の出来事に渦にのまれ、全員溺れてしまいました。船や青柳姫などを飲み込んだ沼は、すぐに、何事もなかったかのようにいつもの静かな水面になっていました。
この日、一日中花嫁を待っていた若者は、夜になってもやってこない青柳姫を、何かの都合で明日になったのかも知れないと、心配ながらも翌日まで待つことにしました。しかし、日が昇り、日が傾きかけても花嫁は現れませんでした。
不安になった若者が松戸に使いを走らせると、娘の家でも早く無事に着いたという知らせが来ないかと、首を長くして待っているところでした。
事の重大さを知った両家は、すぐに船で青柳姫を捜しに出掛けました。そして草加の沼で、かすかに見える帆柱を発見し、船がここで沈んだことを知りました。
驚き嘆き悲しんだ両家の者は、青柳姫の遺体を捜しだそうと、付近の人家に訳を話し協力してもらうことにしました。けん命な捜索にもかかわらず、ついに姫の遺体は発見できませんでした。
村人たちはこの話に大いに同情し、また青柳姫を弔うために、以後この地を「青柳」と呼ぶことにしたそうです。
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