メニューにジャンプコンテンツにジャンプ
草加市 SOKA CITY

魚屋河岸

更新日:2011年4月1日

広報そうか 第359号 昭和56年4月20日号

江戸と草加の橋渡し

魚屋河岸

(2)魚屋河岸(手代町)

慶長年間から大正にかけて、手代町の魚屋(ゆうや)河岸は、江戸と草加を結ぶ経済の接点として重要な役割を果たしました。

江戸時代、草加では米をはじめとして、大麦、大豆、なす、うりなどの農作物が豊富にとれ、また、江戸にはこれら農作物にとって必要な肥料や生活に役立つ日用雑貨品が出まわっていました。

この両者を結びつけたのが、綾瀬川を往来する回船でした。

回船といっても、川を航路としているため、それほど大きなものではありませんでしたが、それでも陸路を人力や牛馬を使って荷を運搬するよりは大量に、しかも速く運ぶことができました。

回船は、綾瀬川の潮の流れを巧みに利用したもので、満潮時には江戸の荷を積んで草加方面に向かい、干潮時には草加の荷を積んで江戸に向かいました。

そのため河岸には、これらの荷を積みおろしする人夫や、船頭、回船問屋などが出入りして、大変活気を帯びていました。

これら河岸場で働く人たちは、当時の経済の担い手だったために景気がよくて、同じ地域に住んでいても一般の人たちにはとても付きあいのできないほどの羽振りだったそうです。

魚屋河岸は、草加のみならず、近郷からの荷の積みおろしもしたため、河岸へ通じる道路は、農産物や肥料を満載した荷車の通行でにぎわい“交通渋帯”をきたしたほどだったといわれています。

しかし、この回船も潮の流れを利用したため、満水時や、渇水時には役に立たなくなってしまいます。また、綾瀬川の潮の流れは草加付近までが回船を運ぶ限界で、草加より上流に荷を運びたいときには、荷を小船に積みかえて運ぶか、あるいは、回船にロープをかけて、岸から荷揚げ人夫が引いて上流まで引き上げました。

当時の綾瀬川には堤防がなく河岸は回船が停泊しやすいように半月状に陸に入りくんでいて、いわば小さな湾のような形をしていたため、荷の積みおろしに適していました。

しかし、明治四十三年の関東大洪水によって綾瀬川も氾濫したため、堤防の必要性が叫ばれ、大正十一年からの綾瀬川の改修によって魚屋河岸はしだいに活気を失っていきました。

現在、魚屋河岸が栄えた手代橋付近は、護岸工事が完成し、かつての河岸場の面影はまったくありません。しかし、綾瀬川は今も昔と変わりなく一日に二回、潮の流れを、正確にくり返しています。

このページに関するアンケート

このページに関する問い合わせ先

広報課
住所:〒340-8550 草加市高砂1丁目1番1号
電話番号:048-922-0549
ファクス番号:048-922-3041

草加市 SOKA CITY

郵便番号:340-8550 埼玉県草加市高砂1丁目1番1号
電話番号:048-922-0151(代表) ファクス番号:048-922-3091

開庁時間:月曜日から金曜日(年末年始・祝日を除く)午前8時30分から午後5時/水曜日夜間(午後9時まで)
日曜総合窓口(午前9時から午後0時30分)
水曜日夜間・日曜総合窓口の取り扱い業務一覧